今回ご紹介するのは早川史哉選手です。早川史哉選手は新潟出身のサッカー選手です。
早川史哉選手は今どんなことで話題になっているのか気になりますね。
早川史哉選手について調べていきましょう。
スポンサーリンク
目次
早川史哉のプロフィール
⚽あす(26日)の #おはスポ⚽
いよいよ再開する #J2。
急性白血病を乗り越え
昨シーズン復帰を果たした#アルビレックス新潟
#早川史哉 選手が
思いを語ってくれました。"医療従事者に
ポジティブな思いを届けられるように"放送は6時台スポーツコーナーです。 pic.twitter.com/xG0tOQVkIP
— NHK おはよう日本 公式 (@nhk_ohayou) June 25, 2020
- 名前:早川史哉
- 読み方:ハヤカワフミヤ
- 国籍:日本
- 生年月日:1994年1月12日
- 年齢:26歳
- 身長:170cm
- 体重:70kg
- 在籍チーム:アルビレックス新潟
- ポジション:MF/DF
- 背番号:28
- 利き足:右足
早川史哉選手は新潟をホームにするチームアルビレックス新潟に所属するサッカー選手です。
2006年にアルビレックス新潟のジュニアユースに所属しているので、そこからずっとアルビレックス新潟で活躍している純粋な選手なんですね。
高校3年生の時にはアルビレックス新潟のトップチームに2種登録されていることからも
目が出るのが早い優秀な選手であったことも伺えます。
早川史哉の出身高校や大学はどこ?
早川史哉選手の出身高校や大学についてみていきたいと思います。
サッカーについては2006年12歳の時からアルビレックスジュニアユースに所属していたので学校での活躍はなかったと思われます。
Jリーグのユースチームに所属する選手は高校は地元の高校や出席率が緩い通信制の高校等に
通いながら、ユースチームの練習をメインに活動する傾向にあります。
そういったことから早川史哉選手の高校はサッカーに強いところではなく地元の通いやすい高校であったと思われます。
2011年までアルビレックス新潟ユースで活躍しその年にはトップチームにも2種登録されています。
その後2012年には筑波大学に進学し筑波大学でサッカー選手として活躍しています。
一旦アルビレックス新潟から離れて筑波大学の蹴球部で活躍する道を選んだんですね。
その時代の筑波大学蹴球部は関東大学リーグ2部に降格していましたが早川史哉選手の活躍によって1部リーグへの返り咲きを果たしました。
筑波大学蹴球部での活躍を評価されて2016年シーズンから早川史哉選手はアルビレックス新潟への加入内定と共に前年から一足早く特別指定選手としてアルビレックス新潟チームの一員となりました。
スポンサーリンク
早川史哉のチャントが凄い!
早川史哉選手のチャントがすごいと噂になっています。
ちなみにチャントというのは選手個人の応援歌のことです。
サッカーだけでなく野球などでも多く採用されていますが選手が好きな曲に選手の名前を載せて選手が活躍したときにファンの人たちが一斉に歌うことが多いです。
ちなみに早川史哉選手のチャントは早川史哉選手が憧れの選手として名前を上げている内田潤選手と同じチャントで
「オー史哉、勝利を掴め、俺らも共に戦おう」
というものだそうです。
選手毎にオリジナルのチャントを作ることが多いものですが早川史哉選手は憧れの内田潤選手と全く同じものにするというところが、一途な憧れの現れですね!
早川史哉の髪型もイケメン?
#Jリーグ #アルビレックス新潟#白血病から現役復帰
いろいろな事を学びえました#新潟県出身Jリーガー#早川史哉 [Fumiya Hayakawa]オー 史哉 勝利の為に
俺らと 共に戦おう
[君に捧げる応援歌を採用しました]今シーズンも共に!いっぱい笑い合いましょう☺️ pic.twitter.com/0pt3hARdKa— HIROYA (@hiroya_617) June 20, 2020
早川史哉選手ですが髪型が特徴的と話題になっています。
その理由なのですが、なんと抗がん剤治療の影響だそうです。
早川史哉選手は自身のツイッターで抗がん剤治療で抜けていた髪の毛が初めて生えてきたけれど、中途半端だったので坊主にした!と報告しています。
調べてみたところ、2016年にアルビレックス新潟の所属選手となってJ1デビューを果たした年の4月にリンパ節の腫れを訴え病院に検査へ。
そこで急性白血病と診断されたそうです。
念願のJ1デビューから間もない期間での急性白血病の発症。とてもつらかったのではないでしょうか?
同2016年の11月に骨髄移植手術を行い治療に専念するためにアルビレックス新潟との選手契約を一旦凍結。
しかしそこから早川史哉選手自身の頑張りのおかげて2017年7月に退院、2018年3月にはアルビレックス新潟の下部組織、8月にはトップチームの練習に合流し選手契約の凍結を解除しました。
その後もリハビリや練習を続けて出場機会は多くないもののアルビレックス新潟の選手として
ベンチ入りを果たしたり、
2019年には右サイドバックとして先発出場しました。
治療や回復だけでも大変なのにサッカー選手として復帰をするのは並大抵の根性ではありません。
それだけ辛い想いをしてでも復帰したい!と思った早川史哉選手の気迫を感じますね。
早川史哉の嫁について!
早川史哉選手は2020年5月24日に一般女性と入籍したそうです。
一般女性ということ以外は公式に報告されていないのですがこのタイミングでの結婚はきっと
闘病生活をずっと付き添った女性なのではないかと考えられます。
闘病中にずっと支えてくれた女性だったら絶対にこれから死ぬまで幸せにしよう!と思う気持ちもすごくわかります。
サッカー選手として再度活躍をしながら幸せな家庭を築いてほしいですね。
早川史哉選手著「そして歩き出す」
【インタビュー】
周囲の思いと笑顔が「前に進む力」に 早川史哉が今つなぎたい、スポーツが持つ力と可能性“幼い頃に見ていた、満員のビッグスワンでプレーしたい”#早川史哉 @paya238#udn @UDNSPORTS#つなぐ#アルビレックス新潟#albirex#Jリーグ#jleaguehttps://t.co/xzIzPNDhPj
— REAL SPORTS(リアルスポーツ) (@realsportsjp) June 1, 2020
早川史哉選手は2019年10月26日に自身の急性白血病の闘病記「そして歩き出す」
を出版しています。
プロデビューと同時期に急性白血病と診断されたことやその後3年半以上の闘病生活を経てJリーガーとして公式戦に戻ってきたことをありのままに綴ったそうです。
早川史哉選手がこの本で伝えたかったことは「当たり前のことが当たり前ではない」
ということだそうです。
確かに幸せな毎日を過ごしているとそれが普通になってしまって「つまらない毎日」と思ってしまいがちですが自分にとっての当たり前と思っていることが他の人にとってはとても幸せなことかもしれませんね。
早川史哉選手の本を読んだら今後の生き方や自分の考え方を見直すきっかけになるかもしれませんね!
関連記事 こんな記事も読まれています!
まとめ
早川史哉選手は12歳のころからアルビレックス新潟ジュニアユースで活躍しその後もアルビレックス新潟一筋で生きるサッカー選手でした。
プロデビュー直後に急性白血病と診断されサッカー選手として休業を余儀なくされましたが
3年半の闘病生活を経てサッカー選手に復帰しています。
早川史哉選手の闘病記の本も出版されているのでどんな想いをして過ごしてきたのか読んでみたいですね。
早川史哉選手が3年半の休業のブランクを埋めて今後も活躍できるようにみんなで応援していきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
スポンサーリンク
コメントを残す